或る草の音

そこにある音楽 ここに置く音楽

生活音としての音楽

道を歩いていて、ふと、生活音としての音楽、ということを思った。人が暮らしのなかで立てるさまざまな音、そのうちのひとつが音楽なのだ、と。音楽はひとの生活の音なのだと。 そう思ったそのとき、後ろから私を追い抜いていった自転車の方が、右手をなにか…

「ぽつぽつ音楽野帳」始めました

公園でオカリナを吹いたりカリンバを鳴らしたり、街角のピアノを弾いたり、その場で出会った音や音楽を聴いたり、といった話をこれまでツイッター「どら梅」にけっこうたくさん書いてきました。それを記録に残しておこうと、別のブログを立ち上げてそこに転…

のびのび駅ピアノ 〜 「居合わせる」音楽について少し

母はNHKのBSでよく放送されている「駅ピアノ」(空港ピアノ・街角ピアノ)の番組のファンである。私もその番組を好んで見るのだが、母は私よりも番組をまめに見ている。 先日私が駅のピアノを弾いた話を母にしたところ、弾くとどんな気持ち?と尋ねられた。…

公園の荒城の月

10数年か20年くらい前だと思うけれど、竹田市の岡城の上の、ひと気のない場所で、自分で作ったオカリナで「荒城の月」を吹いたことがある。吹いたのは吹いたものの、それまでことさら「荒城の月」の練習をしていたわけではなく、オカリナもたしか出かけると…

音楽が要らない人のとなりで

いまたまたまそういう「時代」になっているからわかりやすいけれど、音楽というのは要らない人は要らないし、不要不急なものだと見られがち。音楽を擁護する人、なんとか「音楽の火」を守ろうとしている人もたくさんいるけれど、その人たちが守りたい音楽は…

白木蓮

今年は早くに白木蓮が咲き始めた。いまはもう多くの花が茶色のしみを浮かべていて、地面に花弁が落ちてきている。咲き始めたばかりのつぼみが少しだけある。 白木蓮の花を見ているとほんとうになにか、ぽん、ぽんと音がするようで、花を見上げては『艸 奏 木…

降ってきた。 思わず、よう来たね、と口に出していた。待っとったよ、と。自分がそんなふうに思っていたとは思わなかった。 早くも花盛りになってきた八重の梅を包むように、たくさんの雪が舞う。この景色を毎年見てきた。ときどきぱらぱらと音がする。地面…

風のオカリナ

と書くとなにかファンタジー風な感じになるが、冬の雲の下、寒風の公園でオカリナを吹いた。 ここ数日暖かかったのに急に寒くなった。風が強くなってきた。それでも公園方面に出かけたので公園に立ち寄り、公園に寄るとオカリナが吹きたくなった。こんな天気…

冬期休業中

昨年末から体調がおもわしくない日が続いていて、最近ようやく熱がおさまってきた。ツイッターはその前から冬期休業することにして休みに入ったけれど、インターネットを読み書きすること自体が少し負担になっていたので、この機にブログも休むことにした。…

うぐいす

※ この記事のひとつ下の記事で、瀧廉太郎生誕140年記念事業「遺作『憾』の真実」参加見聞記の非公開化につきましてのおわびを載せています。ご関心を持って当該の参加見聞記を読んでくださっていた皆様には申し訳ございません。 三が日は外出を控えた。2日…

瀧廉太郎生誕140年記念事業「遺作『憾』の真実」参加見聞記の非公開化につきまして(おわび)【追記あり】

2019年8月24日に大分県竹田市の「グランツたけた」にて開催された、瀧廉太郎生誕140年記念事業「遺作『憾』の真実」を私が客席で拝聴した際の見聞記をこのブログに掲載していましたが、当日の講演で聴講した内容を「見聞記」すなわち私の聞いたかたちで伝聞…

新春

新春は私の住むあたりではまちが静まっておだやか。まだ身体がつらいが、熱がだいぶ落ち着いてきたので、庭の林(薮)に出た。落ちている蝋梅の花を拾おうと思って。 きつつきの音がする。樫の木をかなり不規則なリズムで強く叩いている。しゃがんで聞いてい…

迎 春

むかしは除夜の鐘が聞こえていたけれどいまは花火の音が鳴り響いていた。さっきまで曇っていた空は晴れて、オリオン座の星々やシリウスがしずかに輝いていた。 昨年末からの発熱がおさまらず初詣は見送ることにした。年明けからこういう調子なのでゆっくりと…

年の瀬のオカリナ

ツイッター(どら梅)のほうは冬期休業に入りましたが、こちらはときどき書こうと思っています。 *** 年末になって体調を壊し、臥せている。臥せる前に出先の公園でオカリナを吹いた。もうそのときには体調がおかしかったのだと思うが、吹いているあいだはま…

こおろぎ

ここしばらく雨の音が続いていたが、いつのまにかそれにかわって、こおろぎの声がしていた。 いま聞こえるのは1匹(虫は1頭と数えるらしいが)。夜はいままでは、かねたたきとこおろぎの声がしていたが、いま聞こえるのは、こおろぎの声だけ。 明け方に、…

お地蔵さまとしてのストリートピアノ

前置き。 前回記事で、音楽に「上手/下手」「よい/わるい」はない、そうした評価軸とは関わりない音楽の楽しみ方を切り開いていきたい、という話をちらっと書いた。それをここでは打ち出していきたい、とも書いたのだが、正直なところ「音楽に〜は『ない』…

これから

このブログをあまり使ってこなかったが、ツイッターで書いていた音楽関係のことをこちらで書いていこうと思い直した。 ツイッターではかなりたくさん、音楽をめぐって、特にこのごろはパブリックピアノ(ストリートピアノと呼んだほうがとおりがいいかもしれ…

瀧廉太郎生誕140年記念事業の見聞記につきまして

ホームページ『遠い遠い夢の世界…』の自由帳で告知しました、竹田市での瀧廉太郎生誕140年記念事業の見聞記、きょう9月24日に掲載と告知しましたが、すみませんが遅れています。 3回に分けて掲載予定です。1回目の記事を、このあと日付が変わってから1〜…

晩春 2

薄明かりの残る空に、つつじの花が色で響き合っていた。

晩春

もうだいぶむかし、グリーグの「春(過ぎた春)」が「晩春」と訳されて放送されていたことがある。訳としては正しくないのだが、その「晩春」という言葉のひびきが心に残っていて、この曲を聴くときにそのイメージが心をよぎることがある。そのイメージが、…

奏黙

自分の場合、「音楽」という言葉にそこまで思い入れがない。 このごろ、世間で言われてイメージされているとおぼしき「音楽」と自分の音楽とがどうも合わない感じがしていて、自分の「音楽」と言うのも少しつらくなってきた。 先日、「艸 奏 木 黙」という名…

自分律の音楽

何年か前から、「自分律」の音楽、という考えをあたためている。言葉は固まっていない。自由律俳句という言葉からの連想。自由律と言うのでもよかったのだが、将来的にいろいろな言葉の使い分けをしていきたいと思い、「自分律」という言葉を作って頭の中で…

風が強い。さっきまで降っていた雨はいまは止んでいるが、空気が冷たくなっている。 西のほうで雲が切れて、上弦を過ぎた月が斜めになって落ちかかっている。風に吹かれて傾げているようでもある。

てんとうむし

てんとうむしを見つけた。黒くて星が4つある。このまえ枯れ枝というか枯れた茎を剪定したセイタカアワダチソウの地面近くの葉にいた。 見つけたときはじっとしていたが、私が顔を寄せてのぞきこむと、ぼこぼこ波打っている葉の上を、こまかな足をこまかく動…

窓を開けて座り作業をしていたら、背中が寒くなった。それで、もう春になっていたのだと気づいた。 これまでは冬の中にかすかに春を感じたり、冬とも春ともなんとも言えないおだやかな光を受けたりしていた。これからは、残る冬をしずかに感じていたい。

白木蓮

いつもは3月いまぐらいから咲き始める白木蓮が、今年は早かった。早く開いた花はすでに花弁が落ち始めているが、いまはまだ多くの花を、空に向かってカップのように差し上げている。 白木蓮の花は、曇りの日には空よりも白いことがある。いわゆる純白とはち…

ある街角ピアノのこと

以前訪ねた、ある街角のピアノのことを書こうと思う。 そのピアノのことはだいぶ前から聞き知っていて、テレビ番組で取り上げられているのも見た。あるとき、その街を訪ねる機会ができた。ピアノが置かれている場所も訪ねようと思った。 公共施設のロビーに…

かみなり

かみなりの裂けるような音が耳に飛び込んできて、耳がぴきっと鳴った気がした。鳥が少しうろたえたような声で小さく鳴いた。

タンブラー

…と読むのだと思うけれど、Tumblrというサービスを利用してブログみたいなものを作っている。今日から投稿を始めた。 艸 奏 木 黙 so so moku moku https://sosomokumoku.tumblr.com/ そちらも試験運用というか、試しにしばらくやってみようという感じ。この…

雨水

雨の後、きゅうに暑くなった。晴れた空を、雲が東へと急ぎ流れる。 赤い実をたくさんつけたままのクロガネモチの木と、いまが満開の白梅。 蝋梅の花も残った。花が光に透いて見える。 さわっと風の音がした。白梅の花びらが降ってきた。風の音は、降る花びら…