或る草の音

そこにある音楽 ここに置く音楽

生活音としての音楽

 

道を歩いていて、ふと、生活音としての音楽、ということを思った。人が暮らしのなかで立てるさまざまな音、そのうちのひとつが音楽なのだ、と。音楽はひとの生活の音なのだと。

そう思ったそのとき、後ろから私を追い抜いていった自転車の方が、右手をなにか舞踏の動きのようなしぐさで大きく動かした。不思議なしぐさだった。何の直接的な関係もないけれどそれを見て私は、あ、この考えはいい考えなのかもしれない、と思った。あの方のなさったしぐさ、それを私がたまたま見たのは、それいいねというどこかからの「合図」を受けたのだ、と。いやたまたまなのだろうけれど、そういう「たまたま」もだいじにするという道はある。

それで、この考えをしばらく持ってみることにする。音楽はひとの生活の音である、ということを、ときおり考えてみようと思う。