或る草の音

そこにある音楽 ここに置く音楽

2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

竹田市の瀧廉太郎関連資料調査報告書

昨年(2019年)瀧廉太郎の親友だった鈴木毅一氏が所蔵していた音楽関係資料(瀧のピアノ作品「憾」の自筆譜と目される手稿譜を含む)が大分県竹田市に寄贈された件で、今年に入ってから、竹田市の瀧廉太郎生誕140年記念事業実行委員会より、資料の調査報告書…

通り行く、隣り合う、人と「ひと」

公園でオカリナを吹き始めたのが2013年の暮れぐらいだったと思う。そのころは吹いていると通りかかった方から声を掛けられたり、リクエストをいただいたりしていた。 公共施設のロビーでピアノを弾き始めたのが2012年だったと覚えている。弾き始めて何年かは…

「表現」ばかりではなかろうけれど

しばらく前からツイッターのほうで、「表現のインフラストラクチャー」という話をときどき書いている(その言葉で書いていないときもある)。その話をきちんと書かないとと思っていて、ここのブログにいつか投稿できるよう手元で書き進めている。 …のだけれ…

生活音としての音楽

道を歩いていて、ふと、生活音としての音楽、ということを思った。人が暮らしのなかで立てるさまざまな音、そのうちのひとつが音楽なのだ、と。音楽はひとの生活の音なのだと。 そう思ったそのとき、後ろから私を追い抜いていった自転車の方が、右手をなにか…

「ぽつぽつ音楽野帳」始めました

公園でオカリナを吹いたりカリンバを鳴らしたり、街角のピアノを弾いたり、その場で出会った音や音楽を聴いたり、といった話をこれまでツイッター「どら梅」にけっこうたくさん書いてきました。それを記録に残しておこうと、別のブログを立ち上げてそこに転…