或る草の音

そこにある音楽 ここに置く音楽

音想い

ぽつぽつ即興のおすすめ

自分はパブリックピアノ(ストリートピアノ)の場でぽつぽつと気ままにピアノを鳴らしたり、公園などでオカリナを気ままに吹いたりカリンバ類を鳴らしたりしている。それをとりあえず「ぽつぽつ即興」という言葉で呼んでいる。 ピアノの場合は文字どおり音を…

街角のピアノに踊る

★ いちどnoteに投稿した記事だけれど、パブリックピアノ・ストリートピアノの体験記的な記事はこちらのブログに載せようと思う。記事の日時はnoteへの投稿日時。 さっきNHK BSの『街角ピアノ』を視聴した。駅や商店街など街に置かれて誰でもどうぞと開かれた…

生まれたものの「かさ」

*** 人が生きるところには音楽が生まれうる。言葉、声かもしれないし、舞踊かもしれないし、絵を描くようなことかもしれないけれど、どのような仕方で何のかたちをとるとしても何か生まれるし、それは音楽としても生まれうる。人がひとりいたら音楽が生まれ…

草としての音楽

*** まちの草を見るようになって20年少し経つ。音楽への関心と草への関心とはもともとまるきり別なものだったけれど、このごろ音楽と草とを取り合わせて考えることがよくある。あまり結びつけたいとも思っていなかったのだが、このごろは底で通じるものを…

通り行く、隣り合う、人と「ひと」

公園でオカリナを吹き始めたのが2013年の暮れぐらいだったと思う。そのころは吹いていると通りかかった方から声を掛けられたり、リクエストをいただいたりしていた。 公共施設のロビーでピアノを弾き始めたのが2012年だったと覚えている。弾き始めて何年かは…

奏黙

自分の場合、「音楽」という言葉にそこまで思い入れがない。 このごろ、世間で言われてイメージされているとおぼしき「音楽」と自分の音楽とがどうも合わない感じがしていて、自分の「音楽」と言うのも少しつらくなってきた。 先日、「艸 奏 木 黙」という名…

自分律の音楽

何年か前から、「自分律」の音楽、という考えをあたためている。言葉は固まっていない。自由律俳句という言葉からの連想。自由律と言うのでもよかったのだが、将来的にいろいろな言葉の使い分けをしていきたいと思い、「自分律」という言葉を作って頭の中で…

とどまる音楽

とどまる音楽。音を鳴らしてそれがどこか遠くまで飛んでいく、届いていくというより、鳴らしたそのあたりにとどまる。 伝わっていかない。ここにとどまる。誰かの心に届いていくのでなく、ここにとどまる。ここを通りかかった誰かの袖に掠ることがあるとして…