或る草の音

そこにある音楽 ここに置く音楽

音楽をかんがえる

ぽつぽつ即興のおすすめ

自分はパブリックピアノ(ストリートピアノ)の場でぽつぽつと気ままにピアノを鳴らしたり、公園などでオカリナを気ままに吹いたりカリンバ類を鳴らしたりしている。それをとりあえず「ぽつぽつ即興」という言葉で呼んでいる。 ピアノの場合は文字どおり音を…

自分の音を持つ

★ 長い記事です パートごとに別な話なので、少しずつ読んでいただければと思います 状況によらずに、あるいは自分自身で状況判断をして、自分が自分で鳴らすことのできる、そういう音を持っているように。自分で持っているように。 それがとてもだいじそうだ…

自分律の音楽、音楽の自若、そして自由律の音楽

★ とても長い記事です 少しずつ読んでいただけたらと思います 以前このブログに、「自分律の音楽」という記事を書いた。日付を見るともう5年近く前になるようだ。 https://draume.hatenadiary.jp/entry/2019/04/05/005215 内容をはしょって書くと、一般的な…

道具というより「自体具」としての楽器

楽器は音楽をするための道具だとされているけれど、自分がこのごろ小物楽器を鳴らすときは、音楽かどうかはともかく音を鳴らしたくて鳴らしている気がする。それも、音を鳴らすための道具というよりそれと関わることすなわち音を鳴らすこと、という感じで。 …

ストリートピアノでさまざまな方々の独特な音楽を聴いて、考えたこと

★ とても長い記事です §ごとのまとまりを少しずつ読んでいただければと思います § はじめに 「誰でもどうぞ」と置かれているピアノを自分は「パブリックピアノ」と呼ぶようにしているけれど、「ストリートピアノ」と言うほうがやっぱり通用しやすいので、こ…

街角のピアノに踊る

★ いちどnoteに投稿した記事だけれど、パブリックピアノ・ストリートピアノの体験記的な記事はこちらのブログに載せようと思う。記事の日時はnoteへの投稿日時。 さっきNHK BSの『街角ピアノ』を視聴した。駅や商店街など街に置かれて誰でもどうぞと開かれた…

生まれたものの「かさ」

*** 人が生きるところには音楽が生まれうる。言葉、声かもしれないし、舞踊かもしれないし、絵を描くようなことかもしれないけれど、どのような仕方で何のかたちをとるとしても何か生まれるし、それは音楽としても生まれうる。人がひとりいたら音楽が生まれ…

草としての音楽

*** まちの草を見るようになって20年少し経つ。音楽への関心と草への関心とはもともとまるきり別なものだったけれど、このごろ音楽と草とを取り合わせて考えることがよくある。あまり結びつけたいとも思っていなかったのだが、このごろは底で通じるものを…

自分という土に育つ苗、としての音楽

先日ツイッターに書いたことだけれど、自分がこれから「音楽」というものをこう捉えていきたい、ひとつのかたちのような気がするので、ここにも書いておこうと思う。 午前2:32 · 2021年4月23日· さっきも少し書いたけれど、音楽は自分を土として苗のように育…

お地蔵さまとしてのストリートピアノ

前置き。 前回記事で、音楽に「上手/下手」「よい/わるい」はない、そうした評価軸とは関わりない音楽の楽しみ方を切り開いていきたい、という話をちらっと書いた。それをここでは打ち出していきたい、とも書いたのだが、正直なところ「音楽に〜は『ない』…

自分律の音楽

何年か前から、「自分律」の音楽、という考えをあたためている。言葉は固まっていない。自由律俳句という言葉からの連想。自由律と言うのでもよかったのだが、将来的にいろいろな言葉の使い分けをしていきたいと思い、「自分律」という言葉を作って頭の中で…