或る草の音

そこにある音楽 ここに置く音楽

道具というより「自体具」としての楽器

 

楽器は音楽をするための道具だとされているけれど、自分がこのごろ小物楽器を鳴らすときは、音楽かどうかはともかく音を鳴らしたくて鳴らしている気がする。それも、音を鳴らすための道具というよりそれと関わることすなわち音を鳴らすこと、という感じで。

そういうときの楽器は、それ自体と関わることが目的で使っている、道具というよりもなんというか「自体具」みたいなものであるように思う。

そういうときの鳴らしている音は音楽なのか、音楽と言えるのかどうかについては、イエスかノーかに切り分ける必要がない気がするけれど、その関わりの様相、様態が、音楽と言うなら音楽である、ということではあるだろうかと思う。