或る草の音

そこにある音楽 ここに置く音楽

自分という土に育つ苗、としての音楽

 

先日ツイッターに書いたことだけれど、自分がこれから「音楽」というものをこう捉えていきたい、ひとつのかたちのような気がするので、ここにも書いておこうと思う。

 

午前2:32 · 2021年4月23日

さっきも少し書いたけれど、音楽は自分を土として苗のように育つものだろうと思う。作曲家とか演奏家とか聴衆とかを問わず、それぞれの人に音楽がそういうふうに生まれてきて、それぞれの人に育つ。その音楽がもともと作曲家発祥であれ、演奏家を通して知ったのであれ、土に育つ苗はその人の苗だと。

 

その音楽の苗は、人に実現してもらうものではほんとうはなく、自分で育てるものなのだと。あるいはしぜんと育っていくものだと。自分のために育てることもあれば誰かのため何かの目的のために育てることもあろうけれど、自分の土の苗。自分の土に宿る苗だと。

 

そういう苗がさまざまな人の土の上でそれぞれに育つ。それぞれの、ひとつひとつの緑として。それがこの地上なのでは。

 

(そういう地上がいい。自分が食べる菜を育て、囲い、誰かと分け、何か取引して誰かの育てた菜を手に入れることなどあるとしても、さまざまな人のさまざまな苗がそれぞれにそれぞれなりの姿で育つ、そういう地上であり続けたほうがやっぱりいいと思う)

 

 以下、ツイッターの投稿を直に埋め込み。上と同じ文章。