或る草の音

そこにある音楽 ここに置く音楽

年の瀬のオカリナ

 

ツイッター(どら梅)のほうは冬期休業に入りましたが、こちらはときどき書こうと思っています。

 

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年末になって体調を壊し、臥せている。臥せる前に出先の公園でオカリナを吹いた。もうそのときには体調がおかしかったのだと思うが、吹いているあいだはまだ気になっていなかった。

 

水辺のベンチに掛けて、ロングトーン、思いついた短いフレーズをぽつぽつと鳴らす。さっそく鴨たちがやってきた。たぶんどなたかが餌をやっているのだろう。一羽の鴨がすぐ目の前まで来たが、私が餌をやる人でないとわかったようで、離れていった。

鴨たちは少し離れた所で、しかし私からまるきり離れてはしまわずに、水辺に寄り集まっていた。オカリナを聴いてくれているとは思わないけれど、しかし私のいくらか近くがいいような様子にも見えた。これまでも公園でオカリナを吹いていて、鳥たちが少し離れた所で特に何もしないでたたずんでいることがよくあった。それは私はうれしい。嫌われていないだけでありがたいと思う。

 

「パプリカ」を何度か調やオカリナを変えながら吹いていて、吹きながら後ろに誰か立っているのを感じた。吹き終えて一息ついて、振り向くと、若い方がおられた。私が振り向いたのを少し驚いたようにしていた。お上手ですね、と、あわてたように一言おっしゃって、その方は後ろを向いて歩き去って行った。いまから思うと私は振り向かずにもう少しオカリナを吹き続けていたらよかったのかもしれない。

 

年の瀬の福岡の水辺は、風も弱くおだやかな水辺だったが、ふと気がつくと寒かった。鴨たちもめいめい去った後だった。かわりに鷺が二羽、鴨がいたのとは別のあたりでそれぞれに過ごしていた。今年の吹き納めのつもりはそのときはまだ特になかったが、ベンチを立っていつものように場所に頭を下げてその場を後にした。

 

臥せているあいだ、オカリナが吹きたいと思った。オカリナは音が大きくてこういう体調のすぐれないときには私はだいたいはつらいのだけれど、もっとやさしく吹くことはできそうな気がした。

からだはしばらくはよくなさそうな感じだが、年が明けて調子が戻ってきたら、またどこかで、オカリナを吹きたい。鳥たちも、聴いてはくれなくても、遠巻きにしてしばらく居てくれたらうれしい。