或る草の音

そこにある音楽 ここに置く音楽

ある街角ピアノのこと

 

以前訪ねた、ある街角のピアノのことを書こうと思う。

そのピアノのことはだいぶ前から聞き知っていて、テレビ番組で取り上げられているのも見た。あるとき、その街を訪ねる機会ができた。ピアノが置かれている場所も訪ねようと思った。

 

 

公共施設のロビーに置かれているピアノをお借りして弾くようになってからおおよそ7年ほどになる。最近、鉄道の駅にピアノが設置される話を多く聞くようになり、自分の住んでいる比較的近くでもピアノを駅に置いたという話をちらほら見かけるようになってきた。それで、そうした話を知ると、用事のときにあわせてその駅を訪ねて、ピアノを弾かせていただくようにもなった。いまそうした、誰でも自由に弾くことができる、「ストリート」「駅」のピアノがブームになり始めているようで、これからしばらく、そうした場所にピアノが設置されることが多くなるのではないかと思っている。

ピアノが公共の場=開かれた場に置かれて、「誰でも弾ける」と銘打って公開されると、ピアノを弾く人があらわれる。もちろん、弾かずにその横を通り過ぎていく人のほうが多かろうし、置かれているピアノに気を留めない人も少なくなかろうと思う。それでも、そのように通り過ぎていく人々の中から、ピアノを弾く人はあらわれる。

そして、ピアノを弾く人があらわれると、今度はその演奏を聴く人があらわれる。聴いた人が拍手したり弾いている人に声を掛けたりもするし、そこから弾く人聴く人の関わり合いが生まれることもある。 ピアノの音をじゃまに感じる人もいるだろうし、立ち止まらずに通り過ぎていった人でも、その演奏が何かの意味で心に留まって、別の場所で思い出して何かを思い、何かをする人もいることだろう。

そうしたさまざまなことが、ピアノが置かれることで始まりうることになる。

ふだんは草や木についてそうしたことを考えているのだけれど、さまざまな場所のそこにあるもの・いるものと人との関わりについて関心を持っている私は、人通りのある場所で自由に弾くことができるピアノがあると知ってから、ピアノがそのように置かれることで始まるそうした可能性について考えたいと思うようになった。それで、そうした公共の場に設置された公開ピアノ……英語圏での呼ばれ方を取り入れて私は「パブリックピアノ」と総称している……を、自分で積極的に弾くようになった。これまでに自分が知ったいくつかの場所で、楽しみながら、考え込みながら、弾いている。

 

 

その街の街角ピアノを訪ねるのにあたって、自分には思うことがあった。

むかし、ある音楽関係の方と、いろいろな地域活動をご一緒していた時期があった。その方は出身地のまちおこしに携わっていて、お仲間とともに商店街のアーケードにピアノを置いてコンサートを開くプロジェクトを実施したと伺っていた。そのコンサートの少し前からピアノを設置して、そこでプロジェクト関係の人たちが練習をしたりもしていたという。プロジェクトは好評だったという話も遠回しな表現ながら伺った。

その方がむかしピアノのプロジェクトを実施したその街が、いまその街角ピアノが設置されている街である。

街角ピアノの設置はピアノプロジェクトよりだいぶ後のことで、その方やその方の当時の活動と街角ピアノの設置とには直接の関係はないようである。ただ、そうした先行例があったことで、街の人たちがピアノの設置を受け容れやすくなっていたかもしれない。だからまったくの無関係ではないかもしれないと私は思っている。

その方は、街の中に音楽があることについて熱く語っていた。自分の出身の街が賑やかさを失っていること、そのなかで音楽に携わる自分に何ができるか考えてきたということ、そうした話をたびたび伺った。そのいっぽうで、街で何かをすることの難しさ、街の「音」がどうあるのがよいのか、街の音環境に意図的に「関わっていく」ことがよいことなのか、という互いの疑問についても語り合った。そしてその街で私も活動を少しばかりお手伝いしたりした。あのときの街や、あのときに街で出会って話した方々のことを思い出すと、その方やお仲間の方々の過去の活動があったからこそ、いまその街にピアノが置かれている、そういう気がやはりいくらかしてくる。

私にとってはその街を訪ねるのはそのとき以来である。その少し後、私はその方と関係が悪化し、とてもよくない形で関係を断つことになった。その方がいまどうなさっているか私は知らない。

その街を訪ねることにしたとき、私はその街角ピアノを訪ねてみたいと思ったが、自分がその街角ピアノを弾くことにはためらいを持っていた。関心はある。いまの私は、そこに公開のピアノがあれば弾くという気持ちでいる。そして自分自身が弾くことでその場と関わりながら、各地各所のパブリックピアノのことを考えていきたいと思っている。しかしその街のピアノに向かえば、ピアノから拒まれるかもしれないと思った。そのピアノはあの方の思いをいまに受け継いでいるピアノなのかもしれないのだから。自分にそのピアノを弾く資格があるだろうか。

弾くとも決められず、かといって弾かないとも決めかねて、気持ちの定まらないままその街を訪ねる日が来た。

 

***

 

その日はよく晴れた。

街の大きな通りを歩いて、街角ピアノが置かれている場所に着いた。この街の中心部で、バス停が近くにあり、広めの休憩スペースになっていて、ベンチに掛けている人が少しいた。その奥にピアノは置かれていた。すぐにわかった。

ピアノは、テレビではとてもきれいに映っていたが、近寄って見ると少し疲れが出ているような外観だった。ピアノ椅子に目を遣って、その椅子が何か変だと気が付いた。しかしどう変なのか、屈み込んでよく見てみるまでわからなかった。

椅子の、おしりを乗せる板が前にずれ出ていた。本来この背もたれ付きタイプのピアノ椅子では、おしりを乗せる板の後部は椅子の後脚のレールに爪ではまっていて、高さ調節のレバーを操作して座面の高さを変えられるようになっている。その、レールにはまっているはずの爪の部分が前方に飛び出ていて、座面が後脚から外れていた。レバーは機能せず、宙に浮いている状態だった。

これで椅子に座れるのだろうかと思いながら座面に触れると、座面ががたっと前傾した。そもそも座面が高さ調節機構からはがれていたのだ。座面の下を見ると、何か大きな力が掛かって調節機構から引きちぎられたようになっていて、木の地がむきだしになっていた。床面を見ると、木屑が散らばっていた。座面をまっすぐ下に押してみたが、微妙に高さがぐらつく感じだった。こんな壊れ方をしているピアノ椅子は初めて見た。通常の使用方法でこのように壊れるとは考えられない。屈んだまま椅子を見ていて、このままにしておけない気がしてきた。

とりあえず、レールから外れた部分を後脚のレールにはめ込んだ。レバーが機能していないので高さを変えることはできなくなるが、安定はする。座面は浮いたままだが、これならそっと座ればだいじょうぶにはなったと思う。かたかた揺れて落ちそうなレバーを抜き、飛び出ていて危なそうなネジを1本回し取って、それらをピアノの上に置いた。

鍵盤のふたを自然と開けた。正面のGのあたりの白鍵に、明らかにタバコだと見える焼け跡があった。最低音域のあたりに、吐瀉物の滓が残っていた。椅子に掛けた。

1曲だけ弾くならこの曲を弾くことにしている、グリーグの「農夫の歌」を弾いた。音はきれいだった。調律から多少の日にちは経った感じで、細かいタッチのコントロールが少し難しい感じで、また通りを行く車の音がかなり大きくてピアノの音が聞きづらかったが、ピアノは私の意図にしっかりと応えてくれていた。私もピアノに自分を合わせられた気がする。

1曲を弾き終えた。ベンチには掛けている人もいたけれど、もうピアノのことしか気にならなかった。一度椅子を離れて、ピアノと椅子を見て、あらためて椅子に掛けて、引き続きピアノを弾いた。軽い表現も、強い表現も、ピアノは支えてくれた。どんな扱われ方をされていても、ピアノはピアノでいた。

最後に「春に寄す」を弾き通した。弾いたものぜんぶ、街に消えていった。

 

私がピアノを離れて建物に入っていたあいだに、制服姿の若い人がピアノの椅子に掛けていた。携帯電話を見ながら片手で操作し、もう片手を鍵盤に乗せてメロディーラインらしき音を鳴らしている。少し曲になってきたように思ったころ、友達らしき人が2人やってきた。3人でピアノの前に並んで、話しながら、最初の1人が最初のようにぽつぽつとピアノを鳴らしていた。その様子を後ろに、その場所を去った。

 

その日の夜、帰りのバスに乗る前にもう一度、ピアノを訪ねた。ベンチには何人も掛けていたが、ピアノを弾いている人はいなかった。椅子は私が応急措置をしたままの状態だった。ピアノの上には、私が置いたレバーの部品とネジがそのままになっていた。

もう時間がなかった。ピアノと椅子に手を掛けて、頭を下げてその場を離れた。私がピアノの前を離れる動きに合わせたように、御高齢の夫婦らしきお二方がベンチを立って、通りのバス停のほうへと向かわれた。

 

 ***

 

その後のことを少し書こうと思う。

 

帰ってきてからもやはり椅子のことが気になり、街角ピアノをどこが管理しているのかよくわからないまま最初に電話を掛けた所が、処置をしてくれるということだった。椅子もピアノと一緒に親しまれてきたものだろうから、うまい具合に修理できますようにとお願いみたいなことを伝えて電話を切った。

電話をした後、自分が応急措置したことでかえって修理が困難になったのではという心配も湧いてきた。それは修理業者さんがなんとかしてくれるだろうとも思ったけれど、それよりなぜ現地ですぐ管理者を探すという方向に頭が回らなかったのかと後悔した。そうするのが正しかったのだろうけれど、あのピアノと椅子を前にして自分は、ほかにどうにも考えられずにああしてしまったのだった。

それからしばらく経って、たまたま見かけたインターネット上のどなたかの写真で、その街角ピアノの椅子が別の椅子に取り替えられていたのを見た。もとの椅子は修理を受けているのかもしれないが、管理者に知らせるのが当然だったとは言え、自分の連絡で、たくさんの人に親しまれてきたピアノ椅子が撤去されたと思うと心苦しかった。写真の主はその街の人ではないようで、そのピアノの場所にも初めて来たらしく、街角にピアノがあることに感動したご様子の言葉を書いてらっしゃったが、椅子については特に何も書かれていなかった。

 

 

いまもそのピアノは同じ街角にいるらしい。椅子のことはわからない。あの椅子が、たぶん私がそこを訪ねた直前までは椅子であり続けていただろう、そして私と私の次の人にとっても椅子であってくれた、そのように、ピアノもあの場所でさまざまに弾かれ、さまざまに思われながら、ピアノであり続けることだろう。